日記
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 今回のコラム寄稿者は HGTSO さんです。
 年末の書店には、多種多彩な手帳やスケジュール帳や日記帳が山の如く陳列されている。
 私は子供の頃から20代くらいまでに何度か日記を書くことに挑戦したが3ヶ月以上続いたためしがない。
 「日記」は過去のことを書くのが原則であり、「スケジュール帳」は未来に向けて備忘録的に書くのが通例である。
 子供の時は学校の先生に半強制的に書かされていたように記憶している。
 その内容は日々の出来事と反省文が多く、書いていても「つまらない」「楽しくない」内容になっていた様な気がする。だから続かないのだ。これは自分に対しての言い訳かも知れないが…。
 日記は基本的に自分のためのみに書くもの(喜怒哀楽を書に置き換え心のコントロールをする)と他人に見られて良いものとに分かれる。
 世界史を振り返ってみれば、ナポレオンも戦記を専属の部下につけさせており、15世紀に始まる大航海時代にもログ(記録)は多く残存する。
 日本で言えば紫式部や樋口一葉や石川啄木らが「他人に見られる」ことを意識していたのはその文面から明白だ。その反面、見てはいけないものに対しつい最近では「彼のケイタイを見る?見ない?動かぬ証拠51の見つけ方」などという本まで出版されるご時世だ。知らぬが仏という態度がとれぬか、空け者め。ともかく…。
「見てはならないもの」を覗き見たいという非道徳的な事ではあるものの、それほど突拍子もないことではなかろう。
 男の子の部屋を掃除していた母親が「H」な雑誌を見つけ「教育的指導」の名のもと?問い詰めるという話はどこかで聞いたことがあるが、男の子が「男」になる過程に過ぎない事であるがためと、秘め事は秘め事としてそこは見て見ないふりをするのが正解であると思うぞ。
 男の子を男に育てるのは母親の役目「人は女に生まれない、女になるのだ。」とは女性解放運動の先駆けとなった「第2の性」のあまりにも有名な一節である。
 …話が少しそれてきた、元に戻そう!
 私の父が他界してから20年が過ぎ、母はその淋しさや心の空白を埋めるため、私が薦めたその日記を今も毎日20年間つづっている。母のスケジュールは一週間先までのデイセンターに行く日の確認のみである。それ以上先のスケジュールは気に止められない。90歳になる母にとってはこれが精一杯である。
 私はたとえ日記を書いても読み返すタイプでないことを知るに至り今は未来に向けたスケジュールと雑用とアイデアのメモに徹していくつもりである。
 もう少し。
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