母子草
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 今回のコラム寄稿者は OTKK さんです。
寄稿者プロフィール     好きな花  母子草
好きな色 しあわせの「黄色」
好きなことば 「感謝(おかげさま)」 
好きな人 さだまさし
歌 ふるさと
好きな果物 ぶどう(白) 
 母ひとり 子ひとり
 私が生まれて四ヶ月の事でした。
 朝は元気で仕事に出かけた父は、事故で帰らぬ人になってしまったのです。二十九歳でした。
 乳飲み子を抱えた母は突然の悲報に途方にくれ、母乳も出なくなってしまったそうです。
 このようなことがあったからだと思いますが家族が出かけるときは、母は必ず外に出て送り続けてくれました。
 私たち親子は十三年程、離ればなれに暮らさざるを得ませんでした。
 手に職もなかった母は、身を切る思いで私を母の実家の兄夫婦にあずけ、住み込みで働きに出たのです。
 私は子供心に、早く母と暮らしたい、早く迎えに来てほしいと毎日祈る思いでいたのを覚えています。
 小学校三年生位になった私はよく母に手紙を書きつづけました。その手紙は、いつも早く一緒に暮らしたい、そんなことばかり書いていました。とても淋しかったのです。
 念願叶って、やっと親子二人が暮らせるようになったのは美容学校に行く時からでした。
 母と私の夢だった美容室をオープンできた時は、沢山の苦労をかけた母に親孝行ができた気持ちでしあわせでした。
 母は穏やかな性格で決して大声で怒るような事は一度もなく、いつも話を聞いてくれて相談にのってくれました。
 お店を支え、家族を愛し、家を守り続けて、父の分まで長生きでき、頑張ってくれた母は昨年九十五歳の生涯の幕を閉じました。
 本当に安らかな旅立ちでした。
 今は母と一緒に二人三脚でがんばってきた日々を思い出し感謝しています。
 母の大切にしていた言葉「感謝」を今、私から母に心から捧げたい言葉です。
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