親子二代
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 今回のコラム寄稿者は KHSI さんです。
 私が今この仕事に携わっているのは、母の後姿を見て育ってきたことに間違いない。
 先日、2020年東京オリンピック開催が決定し日本中盛り上がっているが、母が今の下諏訪の地に美容室を開業したのが昭和40年、東京オリンピックが開催された翌年である。高度成長に沸く日本経済の中、美容業界も景気の波に乗って成長発展していった時代であったと思う。私も子供ながらに母のお手伝いをしたり、まさにお店と一緒に育ってきたといってもいいだろう。
 しかし、初めから美容師になろうとは考えもせず、就職を迎える時期に改めて母の美容師として生きてきた姿が目に浮かび、これからは手に職、技術を身に着けることが必要と考え、この業界へ飛び込みました。
 東京でしばらく修業を積み、地元下諏訪に戻ったのが昭和61年。
 私が戻ると同時に、待ってましたとばかりに母に支部長の声がかかり、嫌と言えない性格ゆえ受けることになりました。
  当時は2年間の任期でしたが、組合員数は約130店舗あり、今の51店舗の倍以上あった時代でした。
 また今のようなデジタル時代と違い、仕事量も半端なく、個性的な先生方も大勢いてかなり大変であったと思います。しかしながら、組合としては今よりも活気と熱気にあふれていたに違いありません。
 長年、元気よく仕事に組合活動に励んでいた母も、寄る年波には勝てず年々弱くなってきました。そんな中、まかせていた組合にもだんだん私が顔を出すようになり、おのずと役員の声がかかるようになってきます。そして4年前、多少の介護が必要となっていた母が脳梗塞で倒れ亡くなりました。
 心の大きな支えがなくなりましたが、前に進まなければと思い、目の前で待っていた支部長を受けることにしました。先人から渡されてきた支部長というバトンが母に渡され、そしてそのバトンが今親子二代として私の手に渡されたことに、プレッシャーと充実感を感じています。組合員の皆さん、執行部の仲間の支えのおかげで、何とか2年目を迎えられていますが、渡されたバトンを落とすことなく次の世代に渡せるよう、残り任期を全うしたいと思います。
 そして今、私たちが美容師法に守られて安心して営業ができることに感謝し、組合組織の大切さ・必要性を後進に伝えていく責任を感じています。
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