父の自分探し
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 今回のコラム寄稿者は OGWYK さんです。
 日本で一番多い名字は「鈴木」「佐藤」「田中」と続くが、この名字十傑の占める割合は、人口の1割を超すという。 29万種類もの名字があるけれど、天皇家には名字がないことって考えると不思議。
 お彼岸のある日、子供達とお墓参りをした時に、数年前に他界した父のことが話題になった。
 「おじいちゃんはうちの名字に愛着と誇りを持っていたんだね!だってさあ。」 
 そう、彼が80歳になるころ、青森県にある地域「小川原」との関連を確認すると言い旅にでた。
 麻績村に生まれ、次男だったため隣村の本家の跡継ぎと決められながら、一度も暮らすことのなかったその家。 当然不在地主として。家屋さえも他人が管理していた。蔵の中の古物も無くなっていたので定かでないが、父は自分の祖先は都から逃れてきた平家の落人で、この地と東北に定住したのであると信じていた。
 青森県には「陸奥小川原港」「小川原町」「小川原湖」などがある。その町の教育委員会と何度か手紙を交わし、そして訪ねたのだ。
 委員会の人の案内でゆかりの地を訪れ、そこに残る同じ名字の家を確かめ、自分の思いを強くしていったみたいである。3回訪れ、彼の自分探しの旅は終わった。
 日本語は複雑で同じ意味なのに「氏」「姓」「名字」「苗字」と表している。その背景には歴史がある。「氏」は古代の支配層であった豪族を指し、「姓」は天皇支配の誰もが名乗れる呼称とされた。
 武家時代になり生まれたのが「名字」である。「名字」の「名」は領地のことであり、自分自身を指す「姓」とは区別した。
 江戸時代、それまで特権階級のものだった「名字」は、町民、農民さえも「名字」や「屋号」を持ち、明治に入っての「苗字必称令」を受け、万人共通の財産となった。
 年を重ね「名字」が先祖からのメッセージとすれば、自分探しの旅をした父の心情に、心惹かれる現在の私に気づく早春の一時であった。
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