コラム Back number 31-35
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031 STOP THE WORLD T・U TDSJ さん
032 ふれあい STKM さん
033 私の趣味 YDEKさん
034 母親、姉ちゃんの思い出 MMMR さん
035 私の失敗談をお聞き下さい。 Y.Y さん



031
031 STOP THE WORLD T・U TDSJ さん
 真夜中、遠くでバイクの音が聞こえる。
4気筒の集合管の排気音だ。あの時代へトリップさせてくれる音、大昔なのに先週の出来事のような気もするあの頃へ、そして、時間よ止まれ ………    
 1978年、将来の不安も、来週の期末試験のことも何も気にせず、毎日をただおもしろおかしく過ごしていた高3の夏のある土曜日の昼下がり、ボクとAとKはいつものように駅前ロータリーを3回廻った後、チーズドールの店先にバイクを停めメインストリートを流していた。
 タカノ(不良少年御用達の服屋)で買ったG Iルックで決め、先輩が駆るシャコタンを羨ましげに眺めながら・・・
 「ちょっと君たち」背後から声を掛けられ(ゲッおまわりか!? まだ何もしてねえぞ)振り向くと見知らぬお兄さんが立っていた。
 「なんスか?」 「今日の夕方から暇だったらちょっとバイトしない?」みたいな話だった。
 「市民会館に矢沢来るの知ってるよね?」もちろん知っていた。でも金がなくチケットは買えなかった。
 「バイトっていってもお金は払えないけどやってくれたら矢沢のコンサート、只で見せてあげるよ。」3人声を合わせて「はい、やります」と言っていた。
 サザンもデビュー前、チューリップとオフコースの違いもわからない不良少年たちのヒーローは誰がなんと言おうと矢沢永吉、エーちゃんなのだった。
 Aは猫毛のクセ毛を一生懸命ブローしスプレーで固め、Kはゴワゴワの髪をポマードでコテコテのリーゼントで決めていた。
 もちろんジーンズの尻ポケットにいつも櫛が入っていた。ちなみに現在、Kの頭には髪の毛は一本もない。ボクはというと実は原田真二も好きだったのでクリクリパーマのカーリーヘアなのでした…。 早速ボクらは着替えをしにいったんうちに帰った。
 タカノで買ったビニールの革ジャン…。やはりエーちゃんの親衛隊は革ジャンなのだ。 夕方、市民会館にバイクで駈け付けるとさっきのお兄さんから何やら腕章を渡されこれを着けろ、と言われた。そして、仕事の内容はというと興奮した観客がステージに上がらないようにくい止めること。…
 やっべ〜、興奮した客に殴られたらどうしよう。 客席はほぼ満員、知った顔もたくさんいた。「おまえら何やってんの?」チームの先輩から言われ「いや〜なんか警備頼まれちゃったンスよおォ」 「前の方へ来ないでくださいよ〜」
 スタッフと書かれた腕章をさりげなく見せつけ歪んだ優越感にキモチが高揚してゆく。ちょっとハスにかまえて客席を睨み付けたりする。だけど・・・真夏に革ジャン(ビニジャン)は暑い!!
 ブザーが鳴りいよいよコンサートの始まりだ。客席の照明が落とされ場内が漆黒に染まる。緞帳が上がりスポットライトがステージを照らす…、エーちゃんの登場だ。 口笛と歓声、拍手が場内のボルテージを一気にあげる。ドラムとエレキの音が耳を劈く。テープでぐるぐる巻きにされたマイクスタンドを蹴り上げ、つばを飛ばしてエーちゃんは唄う。…そしてボクらは腕からスタッフの腕章をハズシ、ステージ下のカブリツキでコブシを高々と突き上げていた。 そして最後の曲、“A DAY”が終わり観客がドアの向こうに消えてゆく…。
 腕章を腕に戻し、ステージ裏に行くと一言、「ごくろうさん。」と云われた。 ボクたちは罪滅ぼしのつもりで機材の搬出の手伝いをした。 「エーちゃんは?」と聞くと「もういないよ。」とお兄さんは云った。
 駅前のレストランにエーちゃんがいると噂が流れてきたけどボクらは行こうとは思わなかった。 ただ駅前ロータリーを流してボクらは家に帰った。
 その夜、なぜか心に決めた。来年の春、高校を卒業したらこの街からも卒業しよう、そして東京へ行こう!…
 でも、この時はまだ美容師になるなんて全然考えてもいなかった。「美容室」にも行ったことがなかったのだから。                                                    THE END


032
032 ふれあい STKM さん
先日、出張業務で福祉施設に行く時、たまたま孫が春休みだったので一緒に行こうと誘ったところ、折り紙を沢山持ち、「おじいちゃん、おばあちゃんに折ってあげるんだ。」と2時間ほど私に付き合ってくれました。
 以前にも行ったことがあったので、私がカットしている間、楽しみながらペンギン・うさぎ・つる・お花…といろいろな色で折り、「どれがいいですか?お土産です、飾って下さい。」と手渡して看護士さんと車イスを押し、カットの終わった方を部屋まで送っていました。(ちなみに孫は8才の男の子、折り紙、絵、ヒップポップダンス、大好き!!)
 孫のような小さな子が声を掛けると、うれしそうに手を取り、「ありがとう。」と笑顔を見せる方もいれば、「いらない…。」と受け取ってくれない方もいて、その時は悲しそうでしたがこれからもおじいちゃん、おばあちゃん、様々な人のこころに触れ、「やさしさ」や「いたわり」を知って欲しいと思います。
 これからも、まだまだ増える高齢のお客様が、年を重ねても、いつまでも綺麗で、気持ち良い生活を過ごしていただける様、手助けができたらと思っています。
 4年前に受講した「ハートフル美容師養成研修会」、高い受講料(本音)だと思いましたが、認知症の方への接し方、寝たきりの方へのカットの仕方など改めて知ることが沢山あり、ビックリ!今でもたまにテキストを読み直すことで勉強になることがあります。(おかげさまで今では、しっかり!身についた受講料です。)
 これからも、時間の合うときは、孫を誘い、おじいちゃん、おばあちゃんに触れ合って行きたいです。(…という私も、4才と8才の孫の・・少し・・若い「おばあちゃん」ですが…。(笑) 
 


033
033 私の趣味 YDEKさん
 淡水魚のカージナルテトラを飼っています。
 幅1,5メートルの水槽の中間部を群れをなして泳ぐ姿が何ともカワイイのです。最近、ブルーメダカを同じ水槽に入れたところしばらくしてカージナルテトラが毎日の様に死に、全滅の危機でした。
 塩を入れたり、薬を入れたり目が離せませんでした。その結果30匹ぐらいが助かり元気に泳げるようになりましたがメダカが原因だと思ったので別の水槽に移しました。
 それから「メダカの飼育」の始まりです。卵を産み、ふ化し、髪の毛先の1,5oくらいの稚魚が次々育ち、現在1,5pくらいに成長しました。
 いじらしくて目が離せません。ルーペを持って毎日観察です。かわいいですよ!!(やはりテトラの全滅状態の原因はカビ菌の付着したメダカの卵をテトラが食べ、内蔵で繁殖してしまった為のようです。)
 他に観葉植物も育てています。「愛情のかけ過ぎ」・「環境」に注意しています。
 旅行、(国内外)大好き!スポーツ、(なんでも)大好き!そしてお酒、歌…。「遊び大好き★人間」の私、…そんな私ですが「人」を大事に、「仲間」を大切に、感謝の気持ちを忘れずそして「前向き」にこれからも頑張っていこうと思います。
 最後に、今聞く度に自然と涙がこぼれ、こころがあらわれる
 「植村花菜」さんの歌をご紹介します。

小3の頃からなぜか
おばあちゃんと暮らしてた
実家の隣だったけど
おばあちゃんと暮らしてた
毎日お手伝いをして
五目並べもした
でもトイレの掃除だけ
苦手な私に
おばあちゃんはこう言った
トイレには
それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日キレイにしたら
女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで



その日から私は
トイレをピカピカにし始めた
べっぴんさんに
絶対なりたくて
毎日磨いてた
買い物に出かけた時には
二人で鴨なんば食べた
新喜劇録画し損ねた
おばちゃんを
泣いて責めたりもした
トイレには
それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日キレイにしたら
女神様みたいに
べっぴんさんに
なれるんやで



少し大人になった私は
おばあちゃんとぶつかった
家族ともうまくやれなくて
居場所がなくなった
休みの日も家に帰らず
彼氏と遊んだりした
五目並べも鴨なんばも
二人の間から消えてった
どうしてだろう?
人は人を傷つけ
大切な物をなくしてく
いつも味方をしてくれてた
おばあちゃんを残して
ひとりきり家離れた



上京して二年が過ぎて
おばあちゃんが入院した
痩せて細くなってしまった
おばあちゃんに
会いに行った
「おばあちゃん、
ただいまー!」て
わざと昔みたいに
言ってみたけど
ちょっと話しただけ
だったのに
「もう帰りー。」て
病室を出された
次の日の朝
おばあちゃんは
静かに眠りについた
まるでまるで私が来るのを
待っていてくれたように



ちゃんと育ててくれたのに
恩返しもしてないのに
いい孫じゃなかったのに
こんな私を
待っててくれたんやね
トイレには
それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
おばあちゃんがくれた言葉は
今日の私をべっぴんさんに
してくれてるかな
トイレには
それはそれはキレイな
女神様がいるんやで
だから毎日キレイにしたら
女神様みたいに
べっぴんさんになれるんやで



気だての良い
お嫁さんになるのが
夢だった私は
今日もせっせと
トイレをピカピカにする
おばあちゃん
おばあちゃん
ありがとう
おばあちゃん
ホンマに
ありがとう…



トイレの神様 [歌詞 植村花菜] 
で トイレの神様


034
034 母親、姉ちゃんの思い出 MMMR さん
 「姉ちゃん達が美容師になったのだから みど里 も 明美 も美容師になるんだよ。」という母親の一言で私達は中学を卒業して東京の美容学校へ進み、姉ちゃんの美容室で四人姉妹が働き、次々と独立、自分のお店を開店することが出来ました。
 この事が母親の一番の夢だったようで、姉ちゃんの真心のこもった四つの店をいつも気遣い、また誇りに思っていたようです。
 自分で作った季節の花を飾り、漬け物を持って四店舗をまわり、「あるあると思うな親と金、親孝行したい時に親はなし…。」と口癖のように言っていました。(まさにその通りです!!) そしてどんな事にも 「努力、努力」でした。
 今思うと母親の野沢菜漬けは日本一でした。 今は亡き姉ちゃんもいつもどんなに忙しくても 「お客様に 『気持ちの良い』 ブラッシングをして差し上げなさい。」 そして 「どこにもないステキな髪型をつくりなさい。」と言っていました…。
 私も今になって母親のこと、姉ちゃんのこと、しみじみと思い出しながら毎日頑張っています。
 「日本中の人に感謝です。」 8年前の秋、母が最後に残してくれた言葉…。
 これからもスタッフに、そして息子に、母親と姉ちゃんが教えてくれたことを伝えて行きたいです。

美容室でお客様が疲れた時、シャンプーの後、元気がないとき…。
ちょっと暖かな指でマッサージして差し上げると目がスッキリ、頭がスッキリと
元気になられ、よろこばれます。5分でよいと思いますので手を差し伸べて下さい。








035
035 私の失敗談をお聞き下さい。 Y.Y さん
 春先から私は快調でした。美容組合の役も終わり、娘も店の仕事に入ってくれて、長年の希望であった「時間に左右されないで、野良仕事をしてみたい!」という夢が叶えられたんです。お婆ちゃんの介護は始まってしまいましたが…。
 「日本の福祉は大した物だ。」と感謝もしました。お婆ちゃんのご飯と着替えをすませれば、私は自由です。後は、デイサービスがお迎えに来てくれて午後5時まで帰ってきません。 そんなわけで、娘から呼び出しがあるまで、畑仕事ができるようになったのです。
 何年来、隣の畑の人に会うと「いつも草が伸び放題で迷惑かけて申し訳ありません。」と謝り続けてきた私の畑は、今年は見るもキレイになり大満足! お店が暇で呼び出しが無いと早朝からお昼まで、5〜6時間も飲まず食わずで働き、家に戻ってから水分補給。ビタミンはドリンクで補う。帰ってきたら、野良仕事など「知らないわ。」とばかりに、体を拭いて着替えをしてすぐ仕事そんな毎日を送っていました。
 残念ながら今は故人となってしまいましたが、私の事を「女シルベスタ・スターローン」みたいだと言っていた友達がいました。    何故そういわれたのかと言うと、一人で米1反歩に、野菜畑2.5反歩、麦畑2反歩を管埋、その上、美容室も経営しているからです。
 ある時は、利き腕を骨折しても3日目には仕事。ギブスは仕事がやりやすいように勝手に小さくする。また、指を7針も縫う怪我をしても、お医者様に縫ってもらえばこっちのもの。後は水絆創膏でその日から仕事をする、お産をしても退院したそのから仕事…。
 今思えば、無茶な事を当たり前のようにやって来ました。 そんな私も実は小学校の頃から筋金入りの偏頭痛持ちで、毎年6月の季節の変わり目、梅雨時になると毎日割れるような頭痛が始まり、食欲が無いのでビタミン剤で栄養を補い、そしていつもの頭痛薬を多量に服用…。しかし医者に行ったことが無い生活を長年続けてきました。私自身が自己診断の「医者」でした。また、傷が膿んだらドクダミで、手を切つたらアロエで治療…と、全てをそれで通してきてしまったのですから…。
 しかし、今回は、それが思い通りに行かなくなってしまったのです。
頭痛が今までとは、全く違うのです。これは脳腫瘍だと思い、病院で調べてもらいましたが、「何時もの偏頭痛だ。」と言われ安心したものの、症状は変わらず、食べられず、10日も寝ていれば、筋肉も衰え、階段もやっとで、今まで沢山の洗濯物を抱え、「タ・タ・タ!」と上り下りしていた事がまるで嘘のよう…。一転、毎日寝ているのが仕事になってしまいました。
 お婆ちゃんの世話も出来ないので、昔はさんざん、子守りをしてもらい、おむつを取って大きくしてきた孫達に、色々言われているのを聞いていると、「申し訳ない。人任せで当たり前に面倒を見させて。気持ちのこもった相手をしてこなかったなあ。私の体が戻ったら本当に気持ちを込め、面働見るから・・・ 本当に申し訳ない。」と心でお詫びをしました。 そうこうしている内に、痛みは癌の末期症状の様に、医者の薬も利かず、1秒置きにくる痛みにただ耐えるだけとなってしまいました。そんな状態になると頭をよぎるのは葬式の事。お婆ちゃんみたいに嫌われて逝くより、若くきれいな内に死ねる方が幸せだとか。過去に宝石や着物、毛皮をさんざん、自分へプレゼントとしていた事が、何と儚い事か? 高いお化粧品や、ドレスなども・・・・。
 今はコットンの肌着とパジャマだけ、「人間は生まれてくる時も、死ぬときも同じ綿製品だけが必要なんだなぁ。」などと色々考えてはいても、切なくも無く、悲しくも無く・・・・・。          その内に痛みは変わらないけど、なんか気持ちが良くなってきたのです。最初に見たのは、緑の一面がどんどん広がり、公園かな、と思ったら、山になり、その時人らしき白い物体が、俸のように倒れたんです。私はどこかで大地震が起こったかと感じました。 
 私もいよいよ、予知脳カが持てたかな、と思っていたら、今度は大草原です。
大きな草が一面に風になびいています。本当に気持ちが良いんです。目を瞑っていても、その映像は昼間よりもっと明るく、TVのハイビジョンより鮮明で風の香りも感じるくらい…。本当に気持ちが良いんです。 その内に、黒いベトナム人のような格好をした人らしき者が一列に何百、何干人と何かしているようです。
その場面の次は、乳白色のふわふわした球体が無数に浮いている景色になりました。これも気持ちが良い…。 こんな日が数日か続き、ふと、「こんな事ではいけない! 今まで飲んでいた頭痛薬の毒を出さなければ!」と、這うようにして、自家製のドクダミや柿の葉等を、煎じてとにかくガブガブと飲み始めたところ、容態も安定し、しばらくすると体中の毒が取れたのでしょうか?身も心も大分しっかりして来て、現在は検査をしても、病気はどこにも見つからないようになりました。 今思うと見えない意識に「ドクダミだよ。」とささやかれて脱却できたと思います。山の景色は現存の姿、草原の景色は死への道。白い球体は生きる「魂」のように感じました。
 この1ヶ月、生命のはかなさを身近に感じ、老人や弱者への思いが新たになりました。 このような私の不思議な体験。お恥ずかしい半生をお話しでき出来る場がここにあること。そして「皆さんにどうかビタミン剤や薬を過信しないで!」と伝えられます事は、まさに「組合員は皆家族」であるという思いからです。 ☆彡 ☆ 彡 ☆彡


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