親 父 (お や じ)
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 今回のコラム寄稿者は HOMEI さんです。
 昨年のある支部長先生のコラムを読んで、俺の親父(おやじ)はどうだったかなぁ?と、記憶の引き出しを開けてみました…。
 小さい頃感じてた親父は、ただ怖いひと。 口下手なせいか、とにかく手が先に飛んでくるってこと。 2階で遊んでいてもちょっとでもドスンドスンやると階段を駆け上がって来てバシ〜ンと平手打ち…。 呑めない酒を呑んできて、うたた寝してる時、まだ赤ん坊だった弟が泣いたら灰皿が飛んできた。
 それとよくやってたのが「星一徹」みたいな「ちゃぶ台返し」。親父だけオカズが多いってこと昔はあったじゃない。〆鯖が一皿親父の前に、たった一言「いいなぁ」って言ったら、いきなりテーブルをひっくり返し「そんなに喰いたきゃ喰えっ」って出てったことが今でも〆鯖を食べると思い出します。 その時の〆鯖? 泣きながら洗って食べました。 酸っぱかった。
 俺が家庭を持ち、真似してみたけど、こたつ板さえ持ち上がらなかった。 すげー力がいる。 もちろんキャッチボールなんてした記憶もない。 写真も海水浴のしかない。
 親父がいる時はいつも緊張してた気がする。 日曜日に親父がいない時はホッとしたっけ。
 でも高校生になってバイクに乗り始めた時も何も言わなかったなぁ。 バイクでこけた時も黙って医者に連れて行ってくれた。
 久しぶりに親父の鉄拳をもらったのが高3の冬休み。 バイクを卒業し、車の免許を取り、初めて親父にねだって買ってもらった15万の中古車、嬉しくて悪友Kを乗せ毎日上田の街を流してた。 イトーヨーカ堂に勤めてた歳上のおねえさんを家まで送った帰り、凍った水溜まりでスリップし、ケツが何度か左右に振れ、必死でハンドルを握っていると横でKが「もういいよヤメテクレ〜!」と笑ってる。 逆ハン切って遊んでいると思ってたらしい。
 凄まじい破壊音の後に訪れた静寂のあと、見た光景は忘れられない。 そこは土壁作りの古い民家の居間だったらしい部屋の中だった。 柱が1本ボンネットに刺さってた。そこでもし、一家団欒していたかと思うと・・・。
 暫くしてそこの家人に助け出され、事務所のようなところに連れて行かれて「親に電話しろ」と…。 すっ飛んで来た親父は俺の顔を見るなり拳骨で2発。 3発目はそこの家人が止めてくれた。 止めてもらわなきゃ死んでたかも…。 あくる日、親父とそこを片付けに行った。 その後の始末は親父がやってくれた。 あの時ほど親父がいてくれて良かったと思ったことはない。
  それから何年かして親父はお袋と別れ、ずっとひとりでいた。 約10年絶縁、一度も会うこともなく、連絡もしなかった。 銭湯で偶然行き逢うまでは…。
 その後なんとなく付き合うようになり俺の結婚式にも来てもらった。
 ゴルフにも一緒に行った。 それでも一緒に暮らそうとは思わない。 親父も同じだと思う。
 お袋と別れた後はどんな生活を送っていたのかは知らない。 きっと独り気ままにやっていたのだろう。
 近ごろはそんな親父の生き方が羨ましく思えたりして…。
 お袋が亡くなる少し前、死んだばあちゃんにそっくりになった。 俺も段々親父に似てきた気がする。 嫌だなぁと思うけどしょうがない、しっかりDNAを受け継いでいるらしい。
 親父さん、その時が来たらオムツは俺が替えてやる。 だからあんまり長生きしないでくれよ。
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